2009年3月10日火曜日

????  高川から

 疑問の道標の解決か
  長島神社よこの道標の説明
  高川からの移動  鹿島先生談(豊南 50周年記念誌)
   
  記載がありましたが、出典名など説明はありませんでした。  
   なぜ移動したのか理解しにくいので説明が必要です。
 
  道しるべ・道標の本来の意味、目的は 何でしょうか?
   旅人が道を迷わないよう案内する為、
    道の角々・分岐に在るべきです。
    高川には同様な道しるべが存在しますので二重に設置するには??、
   以上のことを踏まえても、憶測、推理の域を出ませんが、  
    能勢街道と天竺川の分岐に道しるべが存在しない。
   能勢街道との分岐であれば 説明がしやすいのです。 
    分岐を 重要な西国街道の宿場 「せがわ」を表示してる。    
  次に 
     天竺川の両岸は街道の松並木を残す街道です。
  熊野田の豆腐屋さんの話では、「自分の家の前を糞尿を運ぶ荷車の往来があった。」と聞いています。

  江戸時代の上新田、熊野田への大坂の糞尿の運搬には、坂の少ない天竺川のこのルートを利用していたのではないでしょうか? と言うのが 私の説   


    長嶋神社横の堤防道標は疑問の道標
 能勢街道と天竺川街道(熊野田へ)との分岐を示すものである。

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