2009年10月26日月曜日

「道標」は、地図のない時代に街道を行き交う人々の案内として、重要な役割を果たしていました。
上新田では、新しく見つかった道標を含め5つの出口にそれぞれ道標が現存しています。上新田の古老西島修蔵氏に聞きますと、道しるべは「昔は、北に行ったところ辻辻に道標が立っていた。」とは語っておられます。このように村々には出口で行き先を記す、「道標」があったようです。そのことを残す貴重な資料が「旧上新田村」に見ることが出来ます。このことは、本市及び他市にはない数少ない例の一つです。
 宝塚市の小濱は宿場町として栄え、各出口に「門」が存在していたが、出口道標も何個か残っている。
 高槻市は、出口名が地名として残っている例もあり、出口道標もいくつか残っています。 
 

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