2010年5月27日木曜日

江坂西西道標 距離測定 小野原街道ルート

小野原西は宅地造成が行われ、箕面市内の斜めの道が描かれないが
この区間は吹田との境から北西の方向斜めに進み、小野原宮崎自治会館で西国街道に到達するが、
一応の目安として、新家から2里=7.84キロの距離を測ってみる。
公園に設置されました。
小野原から「山田 ・ 上新田」の道標


大きな地図で見る

Googleマップで測定
 山田地区は旧山田村の中を歩く。 亀岡街道との分岐、市場まで7.2キロ
 2里としてはちょっと短い。
 一本道沿いにある道標と考えられるので
 市場を通り越してしまうので、ここらの道標ではない。
 
 1里は約3.92キロ
 2里は約7.84キロ
  新家から勝尾寺までは 36町は1里です。

三里の距離
 1.熊野田道ルート
 2.三国街道ルート
 3.小野原街道ルート


徒歩ルートの表示は Beta 版です。
注意 – このルートには歩道のない道が含まれている可能性があります。

府道1号線への徒歩ルート
7.2 km – 約 1時間26分
経由地点: 府道120号線 - 経由地を削除
その他のルート

西国街道
1. 西国街道 を東に進む 850 m
2. 府道120号線 を右折する 3.0 km
3. 万博公園西(交差点)で府道119号線へ進む 650 m
4. 府道2号線を進む 89 m
5. 斜め左に折れる 1.2 km
6. 左折する 34 m
7. 斜め右に折れて 府道1号線 に向かう 500 m
8. 左折して 府道1号線 に向かう 61 m
9. 府道1号線 を右折する 950 m

府道1号線

2010年5月24日月曜日

他市で発見  「はっとり」の道標 Ⅰ

今津っ子さんにこの道標について問い合わせました。
尼崎市武庫之荘で見つけました。

地元の人に聞いたらすぐわかりました。
ですが、さらに凄いことが分かりました。
この地蔵に書かれている地名

「はっとり」 です。 他市の道標で豊中の地名が出てくるのは
例が少ないここで出てくるとは、凄いですね!
他市の道標も調べなければなりません。
今津っ子さん 有難うございました。

 もう一つ「服部の道標

江坂西西道標 Ⅳ 三里距離

新家より二里を三国街道・下新田でとってみました。


新家からの距離二里

ルートは下新田方向  7.8キロ

指定の地点への徒歩ルート
7.8 km – 約 1時間34分
経由地点: 西国街道 - 経由地を削除
その他のルート

新家から 西国街道

1. 西国街道 を西に進む 950 m
2. 左折する 120 m
3. 右折する 130 m
4. 左折する 83 m
5. 右折して 府道121号線 に向かう 300 m
6. 左折して 府道121号線 に向かう 20 m
7. 右折して 府道121号線 に向かう 260 m
8. 府道121号線 を右折する 160 m
9. 左折してそのまま 府道121号線 を進む 2.2 km
10. 右側の出口を出る 180 m
11. 左折する 500 m
12. 右折する 290 m

5.2 km – 約 1時間3分
指定の地点

13. 南西に進む 400 m

400 m – 約 5分
指定の地点

14. 南東に進む 230 m
15. 右折する 95 m
16. 左折する 450 m
17. 桃山台駅東(交差点) を右折する 42 m
18. 桃山台駅西(交差点) を左折する 600 m
19. 右折する 19 m
20. 左折する 500 m

1.9 km – 約 23分
大阪府吹田市春日

21. 南東に進む 170 m

170 m – 約 2分
指定の地点

22. 南西に進む 79 m

79 m – 約 54秒
指定の地点


地図データ ©2010 ZENRIN

2010年5月23日日曜日

江坂西西道標  すごい発見になりました。

捜し求めていたものです。
江坂西西道標は
「下新田の立石」です。


(馬頭観音像)
「右 かちをじ  3り」  
年号不明  
2009年6月6日再撮影

江坂西西道標 Ⅱ

持ち主に聞くことができました。
お話を伺うことが出来ました。
「先代が拾ってきて、庭に祭ってあった。 観音様があるので、地蔵だと思っていたらしい。何処から持ってきたのかは詳しくは聞いていない。折れていたので家に持ち帰えったようだ。」
祀ってある写真があればいいのだか!
「息子と話していて、これは観音様でも下に文字が書いてあるので、馬頭観音で、みちしるべだ。」
家を建て替えた後は庭が狭くなったので、チャント着飾ってここに置いてあって、参っていたとのことでした。
「江坂西の道標の所に置いて欲しいと」頼まれたが断られたそうです。
奥さんは
「元のあったところに安置したい。私が生きている間は祀ることが出来るが、その後、どのような運命を辿るのか! 心配である。あの道標が安心していれる場所を探している。」 今回表に出されたのは
「道標だから、みんなに見てもらいたく表に出した。」(自費・自分の敷地内)市教委に相談され、博物館で預かってくると頼まれたそうですが、「(出所が不明の為)引き取れない。」だそうです。なお「倒れないようにコンクリートで立てて下さい。」といわれたそうです。
 さて、この道標の実際の大きさは
 19.2 X 17.0 X 64センチ 
 話を聞くのと途中で折れているようで下部欠損となっているようだ。
 本当の大きさは 高さ90~100センチで大きい物になる。すなわち「立石」と考えられる。 
奥さんは時々このように道標を参っておられます。
南向きに立ち、表示はこの面だけで、他の3面には文字らしい物は記載されていない。
彫が深く、立派な物だ

(馬頭観音像)右 かつをじ
                                        三り
 どこか 「上の立石」に似ていませんか!

 この道標は、下新田(現春日町)にあった、
 「下新田道標」=「下の立石」であるとかんがえられる。



2010年5月21日金曜日

熊野田ルートの計測  江坂西西の道標の考察

江坂西西道標の考察
勝尾寺口より 上新田経由熊野田  八坂橋まで 7.9km
江坂西西の道標の考察
熊野田の道標であれば八坂橋あたりになります。
GOOGLEで調べました。
今回発表は江坂から勝尾寺まで三里 が疑問に思われる方がいらっしゃると思います。
江坂からは3里半です。 3/20聞き取り調査から端を発しています。その後、吹田市教育委員会、文化財保護担当の吹田市立博物館に問い合わせていましたが、なかなか連絡がありませんでした。私が持っている資料以外に新しいことはわかっていないということです。 隠れ道標マニアは多くいると思いますが、ネットなどで公開している人は少ないようです。
この道標が下新田にあった「下の立石」ではないかということです。その予想を元に「下の立石」の収集に奔走していましたが、資料がありません。ということが判り、現時点での結論を出させていただきます。  御意見下さい。

逆に熊野田の八坂橋にあったとするならば、ここも資料はありませんが、私が思っている「疑問の道標」天竺川街道の
存在が脚光を浴びることになりますのでそれはそれでいいです。ですが交通量の多い大阪からの直線ルートを考えるのが一般的ではないでしょうか!

大きな地図で見る
熊野田八坂橋 徒歩ルート
7.9 km – 約 1時間35分

経由地点: 西国街道, 府道2号線 - すべての経由地を削除
その他のルート

西国街道

1. 西国街道 を西に進む 950 m
2. 左折する 120 m
3. 右折する 130 m
4. 左折する 83 m
5. 右折して 府道121号線 に向かう 300 m
6. 左折して 府道121号線 に向かう 20 m
7. 右折して 府道121号線 に向かう 260 m
8. 府道121号線 を右折する 160 m
9. 左折してそのまま 府道121号線 を進む 2.2 km
10. 右側の出口を出る 180 m
11. 左折する 500 m
12. 右折する 290 m

5.2 km – 約 1時間3分
指定の地点

13. 南西に進む 400 m

400 m – 約 5分
指定の地点

14. 府道2号線 に向かって北に進む 25 m
15. 府道2号線 で大きく左方向に曲がる 900 m
16. 斜め右に折れる 8 m

950 m – 約 11分
指定の地点

17. 府道2号線 に向かって東に進む 8 m
18. 府道2号線 で大きく右方向に曲がる 400 m
19. 斜め右に折れる 24 m

400 m – 約 4分
指定の地点

20. 南西に進む 500 m

500 m – 約 5分
指定の地点

21. 北西に進む 15 m
22. 左折する
目的地は前方左側です 450 m

500 m – 約 5分

2010年5月20日木曜日

「見つけた道標」取り下げ 3基

2010/5/20 取り下げ、 若竹町2基
 「とよなかの歴史・文化財ガイドブック」に記載がなかったのでアップしましたが、 別な件で調べていたら、福西さんの「豊中の史跡たずね描き」には記載がありましたので、取り下げます。再度、2つの資料を見比べます。 
それでも豊中の道標の数は増えました。未確認のも含めて42基
まだまだあるか! 早く出ておいで!

吹田の「愛宕山の道標」については吹田教育センターから連絡を頂き、市としては、博物館から修正の文を発行しているそうです。
 それと、「千里役場」の場所は後日、博物館から連絡があるそうです。
そこで、「愛宕山」道標も取り下げます。

   「見つけた道標」

2010年5月18日火曜日

高さ1メートルの地蔵(隠れた名所) しむか地蔵尊 染香墓

前回城山探索で鍵のかかったそれはそれは大きな地蔵がありました。

そこに置き手紙を置きました。(3/30) 「地蔵の写真を撮らしてください。」
「この地蔵のいわれのわかる方を教えてください。」
もう忘れていました。1ヶ月まえのことです。
これを守っていらっしゃる方から電話がありました。
長興寺南の前田さんです。お参りしていたが、祠を新調していただいた。というはなしです。
連絡があり、翌日14日金曜日出かけました。



大きいです。
石の高さ107㎝、横幅91㎝、厚み47㎝の巨大な石に
地蔵が彫ってあります。
地蔵の高さ76㎝、幅27㎝
見事な地蔵です。  豊中の名所になることが可能だ!


厚み47㎝

横顔のきれいなお地蔵さんです。

こんな話が残っています。
このあたりの村々の若者仲間が お伊勢参り (おかげ参りの灯篭)の時は、
地蔵堂の前の道を伊勢に向かった。
その長い道中で、あの名高い「関の地蔵」さんによく似ているとみえて、
「関のお地蔵と、しむかの地蔵は、いとこづくか、似てござる。」と唄われるようになった。 
関の地蔵と一休和尚の話が有名

祠の左手前には、染香墓があります。

道標でなく塔婆の可能性が大

2010/05/16
尼崎市武庫之荘で見つけました。
これは四角柱で、頭部が欠けています。
塔婆の上部が欠けています。
守部素戔嗚神社境内南東にある祠
左の端にある花の手前の四角柱です。
欠けています。これは塔婆です。
その他の物もこれと同一の物と思われる。

観音様像であるが、熊野田のも同じだとは思いたくない。
これは 地蔵さんですが道標にもなっています。
「中山寺」と読める

2010年5月17日月曜日

武庫之荘

祠の中には
赤ちゃんを抱いた地蔵さん
願不動尊 その中に3基
薬師如来像(おんころころせんだりまとうきそわか)
不動明王(なうまくさんまんたばさらだせんだんまかろしやえそはたやうんたらたかんをん)

役行者像2基 尼崎市

役行者像

天保四年




尼崎市武庫之荘
守部十三重塔 重要有形文化財指定

尼崎の道標 疑問が一杯

道標2基 安置されていました。
守部素戔嗚神社

       尼寄  
正面  右    道
       大阪 

   門戸厄神
右面 左         道
     かぶと山
もう一基
正面   左 かぶと山道
 
左面    右 大坂

この2基の道標は移築された物と推測できます。
「髭の渡し」からは一キロ以上南ですので
ここらに「渡し」があったようです。

大阪の坂が2基は違います。
守部素戔嗚神社
武庫町の交差点南西にある祠
この地蔵の祠に道標が
拡大すると 「中」が見えるので道標であろう。
伊丹市も調べていないので、尼崎までなると大変です。

2010年5月13日木曜日

発見 同じ人が立てた道標  箕面市と吹田市で発見される。

同じ人が立てた道標が箕面市、吹田市で発見される。
箕面市の館長さんと吹田の資料を開いていると
「六十六部善五郎」だ、箕面市にもあります。
吹田市が2年早いということで、おもしろくなりました。
点と点 つないで線(街道)になります。
ただ、吹田のものはどこからか移築されて物ということで
ちょっと残念です。


現物はまだ確認できていません
藤が丘住友銀行社宅そば道標
現在は   竹原章三氏庭園・・・未確認
写真はありませんので記述のみ
願主 筑前国博多
 六十六部善五郎
文化十三年 子 5月吉日
右 かつをじ道


六十六部善五郎が建てたもの、箕面市山之口の道標です。
山之口の道しるべ
これが箕面市粟生間谷東の裏川の縁です。
総持寺から勝尾寺への巡礼道で、

 (裏面)    施主 筑前国博多
六十六部善五郎
(正面) 左 かちをじ道 
(左面) 文化十五年寅 ■■日建之
為了誉義達信士追善


新しいことが見つかると、「点」が「線へ」 さらに広がる。

問題は吹田の道標は旧在所不明です。

箕面滝道 役行者ゆかりの龍安寺

役行者開祖の龍安寺を目指します。

箕面滝道 を歩きます。
 
箕面スパーガーデンの橋の手前にある碑・橋の欄干だったのか!
龍安寺
役行者像 現れる。
弟子を従えています。 さすが、龍安寺でした。
行者堂
またもや役行者像
ここまで、案内板には1.7キロとありました。
滝道はゆっくり歩けばいい!

明治18年地図

明治18年地図大阪近郊北部 よこ95×84
箕面市立郷土資料館からお借りしました。
きれいです。これをどのようにデジタル化したらいいのかな!

この一枚だけきれいに取れました。
江坂から城山への旧能勢街道です。

明治18年の地図の関西区分図 値段500円 安い 

明治18年の地図を購入 平成23年8月15日

2010年5月10日月曜日

信仰道  片山ルート 古い地図から

このルートはあまり知られていないが、下の地図「江戸時代の道路と川」わがまち岸部より
片山からのルートが描かれている。

確認の為、調査  山の谷を通るルートだ。
もう一つのルート 「上新田」からのルートは書かれていない。
佐井寺への道Ⅴ 信仰道 上新田ルート  追加12/01/29
最初の入り口が違っていました。これで何度目でしょうか!
交差点から散髪屋のこの道をいるのです。
そのまま北上

すぐに左手に立派な祠があります。
これが出口からきた「津戸の中道」です。
この道はすぐに右に折れ天道を目指します。
片山にはそのまま北上
突き当たりに立派な家がありました。
道なりに進みガードレールに沿って登ります。
吹田市立病院手前に出ます。これが正解です。
その後もありました。この新しい道を北上すると思っていましたが。
次の信号で左に下る道があり、その先に祠があり、
この道だと思い進みます。
参道手前に地蔵があり、
道は右側を上がる。病院前に出ます。
病院の駐車場の間を抜ける道があります。
それを過ぎると片山墓地があります。
多くの地蔵・   があります。
またもやありました。地蔵と一緒に加えます。
大きな木と慰霊碑
もうすぐ、前に名神高速が現れる。
前半戦おわり。この後愛宕さんの道標探検

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観音信仰が旺盛な時代

道標のある3ルート『佐井寺道』=信仰道

大阪側から亀岡街道を使う信仰道 



明治の地図から見た信仰道