2011年6月29日水曜日

気になる石物  Ⅳ

情報が寄せられました。    有難うございます。

垂水交番所前の上の川改修記念碑横の石は
「標高基準石」
この基準石は東京湾を「0」として計測しここの地点、(高さ、標高10. ?   )m)
表します。小数点以下の数は覚えてないそうです。
石は御影石製で掘っている字は右方に「一号」、真ん中に「等 水準」と掘られているそうです。


枠内の文字が彫られている石を取ると中に直径15㎝位の赤黒い丸い石
がありこれで基準を表すそうです。

つづき  06/29 20:48 受信

追伸
 今日又石の件で言い忘れがあると教えて頂きました。
 この標高基準石は当初、交番所から西へ50m程先に垂水郵便局の隣に内田商店(たこやきや)の前にあったそうです。(昭和30年時代) 
 内田商店の建て替えや等で前の道路がせまくて現在の場所に移転したそうです。
 内田商店の前にあったときは標高8.  X m(小数点以下覚えなし)で現在の場所は2m程高く
 なっているとの事。
 上の石を取り上げて赤黒い丸い石の頂点から計測するそうです。
 この標高基準石を「かいしょう」と間違っている方が多いそうです。 (by Ogawa)



有難うございました。私も「かいしょ」と間違っていました。  


標高基準石、吹田ではここだけでしょうか!



今日は 三つ辻(4等三角点) と 法円坂(一等水準点)


三角点 調査 1等三角点 4基

「気になる石物」 垂水の石は 「水準点」 国土地理院で調べましたが
「水準点」がなかなか見つかりません、
三角点がありました。
大阪府下に1等から4等まで 514基
 1等 は 4基 と思い調べました
すでに 調べてあります。
私の友だち「観石万歩」さんをご覧下さい。
近くでは 泉原山 (せんげんやま)茨木市泉原字堂ケ岡

今日は 三角点
吹田には幾つの三角点があるのでしょうか!
私が地図で調べた結果 5基あります。
3等三角点  3基
山田上(歯学部東) 78.7
山田(千里丘西 学校) 47.2
牛ケ首(津雲台4丁目 学校西)   80.2   
4等三角点  2基
Ⅳ 三ツ辻   34.9    
Ⅳ(山田西1) 68.1


 これは 吹田市の「3級水準点」

これか?????  違いました。

以外にも 二等三角点 が近くにあります。
086 三本松1 (さんぼんまつ1)  豊中市東寺内町

2011年6月27日月曜日

垂水探索  気になる石物 Ⅲ

やはり 地の人が一番でした。  分りました。


その1  豊津派出所 「記念碑」横   解決 「水準点」


 これは 「かいしょ」  排水溝、排水溝の方向を変えるところ

訂正  2011/06/27

岡村さんからメールをいただきました。有難うございます。

博物館西本氏より回答がありました。 有難うございました。
「 「地理調査院の水準点」です。標高10.00mを示す場所です。
あの石の下に水準点の本体があるそうです。
 吹田市内には水準点は3か所あるそうです。 」
 「水準点」聞きなれない言葉です。「毛馬の閘門」にも旧水準点がありました。
 和菓子屋さん(ばってんや長衛)の西側に溝があり、その溝は、道路を横断し、そこから



東へ進み この 交番横に来る、

 穴の深さは5~7メートルはあるといわれました。

 第1号  右上  寿

この後 探索 「ばってんや長衛」のご主人との会話の中で
おばあちゃんが言っていた前の道のことを「新道」と
気になります。

郵便局の西側の道を北へ

地蔵がありました。 旧道か

祠の中 きれいな絵が3つ張ってありました。

中に3基の地蔵がありました。 中央の地蔵 頭に突起があり、傘をかぶっていたのでしょう
古い地蔵になります。
この道、ずーと北上します。


垂水東之町

向こうに見えるのは 「上の川」と千里山への道
一度 吹田街道まで戻り 南(反対側)を目指します。
又もや祠が 「四辻地蔵」ここは四辻ではない。

片足を立てた立派な地蔵です。

加賀先生の「旧街道を歩く」が張ってありました。

マンションで通れませんが、西側の道と合流します。

明誓寺
この後、糸田川にでて、吹田市役所から浜屋敷を目指します。



またまた見つけ道標  気になる石物  Ⅱ 解決・・・

やはり 地の人が一番でした。  分りました。

その1  豊津派出所 「記念碑」横   解決

これは 「かいしょ」  排水溝、排水溝の方向を変えるところ

 和菓子屋さん(ばってんや長衛)の西側に溝があり、その溝は、道路を横断し、そこから

東へ進み この 交番横に来る、

 穴の深さは5~7メートルはあるといわれました。

 第1号  右上  寿

 
その2  これは 何でしょうか
道標か??? 油かけ地蔵の横にある石仏の中の一つ


やはり道標でしたか!
右 みや       訂正 右 みや津
  なりた???          なりあい  (西国第二十八番札所成相寺


当村願主  → 当村願主
松原庄 ■ ■ → 松原庄右門



文政十三年
 表の常夜燈と同じ年代だ

その4  これを聞くことを忘れていました。
 

写真が一枚足りません。 前にも見に来ました。「石がん仏」
その他の「石がん仏」
市場池の祠
元興寺文化財研究所

西宮市
泉大津市6 墓地???

稲荷橋の東側

2011年6月26日日曜日

第40回 歴史散歩


2011年7月9日(土)午前9時30分
  阪急十三駅東口集合


毎月1回 今回で40回を数えます。

2011年6月22日水曜日

小野原探索 山田・上新田、失った道標、相撲取りの墓

以前から、吹田郷土史研究会の武田純立さんの要望で
「小野原の道標」が分からない、ということで案内することになりました。

早速撮影 大きさは  15×11×18.5 四角柱    現在 箕面市立資料館
これは、向きが逆になっています。認知されたときからこの向きだそうです。
右 上新田
左 山田

公園内を歩いていると「どこにあるの!」「これです。」
看板がありません。

もう一つの道標
墓地の管理人から聞いた話 「箕面・小野原の道標」
加賀真佐子文庫で見つけた資料 
  大阪市立博物館 研究紀要 第5冊  1972 (昭和47年)
この道標を思い出していただきました。
「 ☞ 吹田」 立派な道標です。

この理照寺の前にあったそうです。 寺の住職に問い合わせ
「あの墓地は、村の物と私ども理照寺の物がある。」
「ここの出身でないので、古いことは知らない。」ということで行方がと途絶えました。
道標の位置を教えていただいた方はまだ70才前後の方ですので
まだまだ、情報が集まるのではないでしょうか!

歴史・由緒ある神社 春日神社



神輿所に2基 獅子もいる。


明和二年  古いですね!

先生は熱心に写真を撮っておられました。

やっと墓地に着きました。
「溝のある地蔵」

この墓地 関取の墓が


今日の管理人の「ひ爺さん」の墓
その他、

歴史があります、関取の墓



この方は関取でなく 「笹川良一」さんの墓です。




もうひとつの探索 金襴会前 ここに石物があった。
探しましたが、草がぼうぼうで見つけられませんでした。

 小野原の墓地                           2009年10月12日

吹田の渡・小野原街道      2010年2月22日

道標探索から相撲取りの墓 2011年6月22日

小野原の道標探索 Ⅱ      2011年11月5日

 

 

 

2011年6月20日月曜日

気になる石物 Ⅰ  その① ~ その⑥

その①
豊津派出所 「記念碑」横 なにでしょうか!
「まち歩き」に聞きます。      水準点

その②  道標か??? 油かけ地蔵の横にある石仏の中の一つ

これは 何でしょうか
右 二や 
 これは 拓本に任そう
当村願主
 松原庄 ■ ■ 

文政十二年
 表の常夜燈と同じ年代だ         
                                              江坂素盞雄神社  太鼓神輿、石棺
 後の福山市探索で分かったこと。 
   福知山の道標 


その③ 油地蔵        その横にある 石仏の中から見つかる。道標
池田市の油かけ地蔵

その④

「八幡藪野社」
写真が一枚足りません。 前にも見に来ました。「石がん」:「石祠」
その他の「石がん仏」
市場池の祠 
 
天津神社

元興寺文化財研究所
西宮市
泉大津市  6基

茨木市の石祠


その⑤ 地蔵の溝


 稲荷橋の南側 高川の堤防まで 「地蔵の溝」

その⑥  墓地???
稲荷橋の南側
今はきれいにされています。