2013年4月5日金曜日

摂津市千里丘1丁目の道標 聞き取り 摂津市市役所 追加2018

亀岡街道が大阪京都高槻線と合流する地点
山田第二小学校と摂津市千里丘1丁目の角にあった道標
地図を載せることが出来ません。googleで地図の作図が出来ません。
 生き返った道標  追加 2017.10.8
 以前の道標 新聞記者  面影の道標を拝見する。 2015.05.02
 摂津市の道標一覧 2013.04.19

  角の家「竹原さん」に聞きました。
「知らない」とのことでしたが 「そういえば この辺りの田んぼなどの地名を 立石と云っていた」とのこと また、「交番の裏当たりの地名を「茶の前」と言っていたそうです。」
「そういえば 元摂津市の市会議員の山本さんが色んな石碑を調べていたようだ。拓本も取られていた。」これを手掛かりにあとで摂津市に問い合わせすることにしました。

 「山田は古いからな!!」ということで
「森祖仙の絵があったな  柿を取っているのか サルか何かわからないが」
 歴史には興味がおありのようでした。
最後に 「千里丘下」の交差点の北側に小さなお地蔵さんがあった。
「京都の高名な先生が西村公朝さんが これは素晴らしいものだ と云っておられた。」など 現在は公民館の横に祭ってある。 それと 「千里丘稲荷神社」がいいのでは と言われたが 電気自転車の電池がありません。今日は近くの「お地蔵さん」を調べます。 公民館に行くとまたまた 
4/14日 千里丘稲荷神社の年次大祭(おかぐら)が行われますのポスターが
別なサイトで紹介
地蔵を求めて周りを探します、裏に行きますが見当たりません。
大きく回って 元来た道に出ると道の反対側に祠が
 
「一願地蔵尊」とあります。
 
かわいいお地蔵さんです。 「そうか これか」ですが、 
急にお腹が痛くなり 公民館のトイレを借りることにしました。
すっきりして受付横に資料があり、目を通していると、
上の写真の「一願地蔵尊」の資料がありました。
公民館の「創立50周年記念誌」で見ることができました。
昭和41年お地蔵さん移設  千里丘上18-12(現在地へ) さらに、
加賀真砂子先生の記事がありました。
 
吹田市文化財ニュース NO.3 昭和54年3月31日付け
「吹田のおもな古みち」加賀真砂子
「知られざる吹田の古墳」池田半兵衛 のもありました。

本題に戻り 道標の件で摂津市に電話 まずは 文化連盟にアポ
連絡先を聞くが 担当者がいなく、仕方なく「千里山の道標のことについて聞きたい。」
文化財保護課に回してもらいました。単刀直入に聞きますと
詳しい人が生憎外出中とのこと 5時過ぎに帰庁 その後 連絡を待ちます。

電話があり 以前に 文化愛護会が本 「摂津市の道標」 その部分をコピーして送りますとのことでした。 助かりました。


0 件のコメント: