2013年9月27日金曜日

水運で栄えた吹田村  太陽の塔もありますが 大学が4つもありますが

ネイチャーホスター対象 「吹田散策」  ☆シニア自然大学校卒業生

ようこそ 文化と歴史の街へ
「水運で栄えた吹田村」
          歴史と文化のまち
 2013年10月19日(土) 10:00 阪急京都線相川駅集合
 持ち物 弁当、 水筒、帽子、雨具、歩きやすい服装で
 コース 相川駅1000 「吹田の渡し」→「高浜小橋」→「大の木さん」→1100「旧西尾邸」→「浜屋敷」→ 南町道標」→1230「高浜神社」→「吹田街道」→「園満寺」  →1400「泉殿宮」→「アサヒビール吹田工場」15時アサヒビール→  
 



 A:相川駅 新京阪電鉄京都線1928開通 大宮まだ伸びる後に阪急と合併。分離後(1948)阪急に 新京極の名残が橋の親柱にあります。 
K:旗本竹中家陣屋跡・吹田市発祥の地
 吹田村・吹田町・吹田市役所跡  済生会跡
 L:高浜神社 天平七年(735)にはすでに
 吹田大宮として存在していた。 
また貞観十一年(869)には素盞鳴尊
(牛頭天王)を合祀して疫病の流行を
免れたという記録もある。
御神木「鶴の松」、古い灯篭:江戸初期
 B:神境町春日神社歴史は古い、天満の神輿を一時預かったなどの言い伝えが残っている。ダンジリを持つ町ですが、現在は高浜神社の御旅所
 C:亀岡街道・吹田の渡し
 D:吹田の渡しの案内板 カラー版が阪急吹田駅地下道にある。大阪と北摂の入り口  子女郎稲荷、 菖蒲池 伝承が残っている。
 ☆ 三方会所・建前地蔵 江戸時代3人の
領主により統治されていた。その会議する場所
と立札を立てていたところに立つ地蔵 
現在は浜屋敷へ? 
 E:新高浜橋・高浜小橋  堤防があった。 南江口からの新運河M11 高浜防災船着場・災害の時の船着き場  ラッパのマーク 
 ☆明治期のメインストリー:吹田街道 
吹田駅が今より西へ200メートルのところ
阪急の駅の近くにあった。
 F:泪池・ 松の音善蔵の墓:川面墓地: 済生会病院の創設者の墓 
 M:常光円満寺 聖武天皇の天平年間 
 行基の開祖とされ、七堂伽藍、13坊を有し、
大きなお寺であった。浜の近くにあったので
「浜の堂」と号し 武士に人気があったが、
応仁の乱の兵火で焼失 
寛文12年僧教範によって再建された。
 G:大の木さん 鎌倉時代西園寺公経が別荘を構えた。「吹田殿址」の碑、泉殿宮の御旅所
 H:仙洞御料:上皇の領地の庄屋屋敷旧西尾邸 電話は1番、電気も1番 若くして亡くなった音楽家貴志康一(大阪市太閤園の庭に碑あり)の生まれたところ、
 N:泉殿宮 貞観11年(869年)里人は建速須佐之男大神を相殿とした上で降雨を祈ったところ
境内に清水が湧出したという。
明治22年(1889年)この清水はミュンヘンにて
「ビール醸造に最適」と評価される。大塩平八郎の叔父が宮司で切腹し、島流しになる。
泉殿宮神楽獅子は伊勢神宮の流れをくみ
大阪の天満宮とのかかわりがある。
 I:浜屋敷 庄屋屋敷「気比家」跡 7台の一つダンジリの見学ができるが今日はイベントのため見学できない。文化財愛護委員の加賀文庫がある。
J:南町道標 亀岡街道と吹田街道の分岐  この付近にその他に2基ある。 明治になり、新高浜橋ができ、亀岡街道は高浜神社宮前通りに変更

旧西尾邸で生まれた 天才音楽家「貴志康一」コンサート
 11月4日  会場 旧西尾邸 13:20~16:00

第4回すいたティーンズクラシックフェスティバル
甲南学園には「貴志康一記念室」がある。
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