2014年1月30日木曜日

わたしたちの ふるさと みのおの道しるべ


市制25周年紀年(もみじグラフ) 箕面市
昭和56年12月



萱野の道しるべ  

当時、萱野農業協同組合の庭内に

私が最初に見たのは 新御堂沿いの道路際にあり
案内板が建てられていた。

現在 元の位置 木戸ケ池での西国街道の分岐点

2014年1月29日水曜日

炎上中 すでに 最高記録更新 もうすぐ10万件


ビュー 8,142件 2014/01月

全期間のページビューも 99,091件
もうすぐ 10万ビュー
これもひとつ  対象がローカル的で、マイナな道標
まち歩きには有効ですね!

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1/16  111
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1/21  123
1/22  164
1/23  121
1/24  141
1/25  113
1/26  794
1/27  1269
1/28   879
1/29   93
1/30   129
1/31  136

国別
アメリカ 4320
日本   2584
ロシア   369
ビュー8000回に迫る勢い

2014年1月28日火曜日

昔の千里丘陵  失った道標? 問い合わせ 2/1

 大阪府茨木土木事務所 より丁寧な回答がありました。 有難うございました。

問い合わせの回答 「昔の千里丘陵 失った道標?」 


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昔の千里丘陵


 なだらかな低い山が連なる広大な丘陵地。嵯峨天皇(786-842)が何度も訪れたといわれる美しい地でした。池には水鳥が巣をつくり、人々はホタル狩りを楽しんでいました。水牛が通れるほどの道には石の道標が置かれ、峠では、モモなどの名産物がならんでいたといわれています。



「石のみちしるべ」  千里名産「モモ」 
 この道標 何処のでしょうか (馬頭観音像)「みぎ かつをじ ひだりのみち」
だれか知りませんか!  どこかの資料に載っているのでしょうか!


珍しいことです。  
 右左の方向をひらがな表示は珍しい。  もう一つ
 「ひだりのみち」=「左 野道」 
 近隣では勝尾寺街道沿いで「今宮会館の道しるべ」がある。 この表示も珍しい
 千里ではこのようなこともあったと思う。何処にあったのでしょうか!
 春日町からの道で上新田と別れ、牛ケ首池に出て現在の吹田箕面線を北上する途中山田街道を横切り豊中の中央体育館を歩く道があったと思われる。

今宮会館の道しるべに 「左 野道」

パンフレット 下の方の地図 緑の線が府道 吹田箕面線



地図で
モノレールから北側の緑の線が 「旧勝尾寺街道」
大坂からの道は 江坂、春日、上新田を通ります。

千里丘陵では見かけられない「道標」 上新田では、5基の道標が現存しています。
変貌する町並み、砂漠化の公園、落ち葉を腐葉土に、生ごみを腐葉土に
人間が手を加えたニュータウン、自然回帰は人間がしなければ、自然には戻らない。
その例が 万博公園 自然への回帰を
花博は元はごみの集積所、ごみからメタンガスが出て炎が出ていたのを覚えている。
無くなる自然、無くなる昔の家並み、庶民の思い
数少ない昔の面影が残る上新田  こちら

府道 吹田箕面線 緑道 の紹介
この道標 何処のでしょう というので 問い合わせ
発行元の「茨木土木事務所」へ

2014年1月26日日曜日

西宮の道標 案内板


 西国街道4 甲東文化財保存会
 甲東小学校発祥の地
 関西学院校内古墳
 
 
 供養碑  案内板 
 
  大師本堂へ九丁の町石
  
  
 



 甲山大師道

ひょっこりひょうたん島 ひょっこり どうひょう:道標! その⑤ 五月山公園道標

平井村 
今回の池田の調査 何回も歩いているので 大体のことはわかっていますのでそんなにかからないと思いました。ですが
これで何回目
1回目 資料を貰いに ・・・・家で検討・問題点9点を再調査 
2回目 五月山公園の道標を探しに・・・・ 見つからず 大廣寺前と同一の物ではないか?
3回目 一番新しい道標の聞き取り
4回目 再度 五月山公園  ということになります。  あ^あー
データ整理  道標3基 平井村 十九郎兵衛
  平井村は 宝塚市長尾村に中山寺村、山本村などと合併 長尾中学校

「五月山公園の道標」が疑問でしたので 再調査 01/24

 ひとつ 料金所のそば???  もうひとつ スケッチによると 頭が四角錐でないこと
もう一つは 右面 を正面とすると 右面には記載はない   別の物でしょうか? 再度調査 

何これ
再探索から また意外なことが・・・・・ 久しぶりの「見つかった道標」

何ですか! こんな瓦を見つけました。 終わりの方で
今日は「五月山公園の道標」再調査
五月山ドライブの料金所の近くに立っている。

料金所の手前で展望台に登るコースが左へ その角に立っていました。
之が正真正銘の「五月山公園の道標」


展望台に行くルートになるが 五月山から箕面へのルートとなる。
(正面) 右 みのお
(裏面)・(左面) 刻印なし
(右面) 施主 平井村 十九郎兵衛

平井村は池田市にはない。池田の市町村合併
2014年2月19日水曜日
頭は三角です。
平井村 十九郎兵衛 さんは また疑問 平井村というのは何処
この「五月山公園」道標と「大廣寺前」道標と大廣寺参道横の「表門七ツ時限」3つ建てたことになる。
やはり五月山公園あったのです。なるほど なるほど
資料 「池田を歩く」 市内の旧街道と道標を巡って には記載がなかった。


さらに上ると 展望台への登り口、赤橋の袂に地蔵が祀ってある。
もう一つ 見つけました。見つけなくてもいいのに!
ここは 一度来たことを思い出します。 一番右の自然石の写真を撮った記憶があります。
その時に、料金所前の道標も写真に収めた記憶があるのですが
写真を探しますがありません。
見つけました。 見つけました 2009/04/19 です
再度確認しましたが、次の写真を見てください。 五私鉄リレーウォーク

上ばかり見ていました。花に夢中 
ここは赤橋の手前の桜 下りは右側を通ったのか??  展望台の写真がきれいです。
それでお許しください。
送信者 五私鉄2009-04-19
別なサイトに掲載

またまた見つけました 料金所の北側の丘に五輪塔が????



お稲荷さんか!
 
左側の狛犬が倒れています。 

揃ったところで「はいポーズ」 これからが大変です。 また、石碑
写真はありませんが、
ズート離れて ドライブウエイ道の崖の上といった方がいいでしょう。

ひょっこりひょうたん島  ひょっこりひょうたん島 でなく、

ひょっこりひょうたん道標です。 

今回の探索の目的はこの道標ではありませんでした、 五月山公園の道標探しに
目的の道標は見つけることができました。その後、近くを見ていると
崖の上に石仏が、 その石仏を見に行かなかったら見つからなかったでしょう。
偶然に見つけました。 見つかるときにはこんな意外性がある。
探している物を一回で見つけることができないのに!  こんなこともあるんです。だから面白い
常にアンテナを張り巡らせなければ 


「見つかった道標」。何個目???


珍しい矢羽「三光山道 (左向きの矢羽)」 
参道が三光山道 でもっとドライブウエイの第1のカーブあたりが入り口でその際にたっていたのではないでしょうか! 
参道を上がってみます。
荒れていますが周りは、イノシシが耕してくれていました。
大廣寺でも同じで 五月山にはイノシシがおおいのでしょう。

之から出るわ出るわ

   
祠 地蔵 ・・・・・
   

  

    
昭和61年1月奉納されたものが飾ってありました。
ご覧のように荒れた祠ばかりです。 そんなに古くはないぞ
ここにある狛犬も転がっていました。

ありましたありました。 鬼瓦「三光山」
昭和61年1月奉納の物が
 
ここは 「三光福寿天王」
   
場所は

第二のカーブ 望海亭コースの公園事務所へ降りる手前の南側 
大廣禅寺 西参道から入ると ここにもおびたただしい地蔵・塔婆が

  


残すは あと一つ 「その⑦」
http://katuozi.blogspot.jp/2014/03/blog-post_29.html ***** 「高山道を示す道標」 大阪教育大付属小学校内
地蔵道標
  右 みのをかちお寺
  左 高山道
現在は付属小学校の植物園に立っているが、原位置は五月丘小学校(接待池あと)より上、渋谷の方へ約300メートルほど登った所、体育館前近道に立っていた。左に高山道を教えているが、元禄十年(1697)の池田村古地図にもきされているが、現在は廃道

** 調査結果!!!!!
 五月山公園料金所そばに道標あり
 「三光山道」の道標を見つける。
 「三光福寿天王」廃寺を見つける。
 平井村の十九郎兵衛さんが道しるべを池田で3基設置

 そこで疑問 池田市は平井村があったのでしょうか!平井村は何処でしょう
     
後日 池田市の市町村合併の歴史を調べる。 2014年2月19日水曜日


五月山公園探索 パートⅠ