2014年7月19日土曜日

大津追分町の道標

←1976年 09月 26日 撮影

大津市 追分町。

みぎハ 京 ミち = 右は 京道

ひ多り ふしミ みち = 左 伏見道





左伏見奈良街道 右京三條みち道標(写真左)
すぐ先の京阪京津線大谷駅改札口の隣に「
元祖走井餅本家石碑(写真中)
走井餅は、大津の名物として知られ 安藤広重の『東海道五十三次』にも登場するが、
本家は既に昭和初期に廃業しているので、もしかしたらここに本家があったのかもしれない。



逢坂の関は平安時代に設置された三関(逢坂、鈴鹿、不破)の一つで、京の東入口として重要な場所であった。



下記の項 こちら

 追分/髭茶屋追分
   (おいわけ/ひげちゃや おいわけ)

   <撮影:1993(平成5)年4月>
 右が「京みち(三条街道・東海道)」、左は「ふしみみち(奈良街道)」の分岐点です。今から15年前の撮影ですが、現在とほとんど変わっていません。

今の追分です。<2008年撮影>

追分道標初代道標 江戸時代に建立されたもの。滋賀 県警本部新築工事により、大津市の琵琶湖文化博物館前から安土町にある「安土町考古博物館」に移されました。

追分道標、常夜燈、同じく常夜燈

追分道標 2代目 髭茶屋追分より近い「攝取院(せっしゅいん・大津市追分町)」の境内に移されています。
 交通事故により道標が真っ二つに折れたそうです。総代さんがお寺さんに相談され、修復されて攝取院に移転されました。 「車石
(くるまいし)」ともに保管されています。このお寺は、平日は門が閉まっていますが、インターホーンでお願いすれば開けて戴けます。たけのこのシーズンなど、猪が出没するので、閉門されています。
 また、門前には清水があふれ出ています。近くの人がペットボトルを持って水を汲みに来られます。お寺さんで伺いましたが、「この水を飲んでいるの、長生きしている」との事でした。「浄財」は、水汲み場の整備費用です。

 追分道標3代目(現在、東海道(三条街道)と奈良街道の分岐にある)建立のもの
 <撮影:1993年4月>




● 昨年10月にここから伏見まで歩いているので、詳細は「京都伏見周辺の散策、追分から墨染まで」の「大津市髭茶屋追分の道標」を参照下さい。
● 東面「みぎハ京ミち」
  南面「ひだりハふしミみち」
  西面「昭和廿九年三月再建」
  北面「柳緑花紅 法名/未徴」

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