2014年7月12日土曜日

一枚の写真 豊中 これなーに  水路は中央幹線水路に合流

問題は まずそれから 
問題は 堤防にある縦長の2つの溝は何?
写真を撮った場所を云えばわかるかな!
https://mapsengine.google.com/map/edit?authuser=0&hl=ja&mid=zJe5zO0j1xvQ.kdenPurR7YJQ

堤防です。 右が名神高速道路  この堤防は 下流で中央幹線水路の合流します。
面白いものを見つけました。


残っている物ですね!

この水路、水は流れていませんが 橋が  それもコンクリート
コンクリートの橋

その上流にもう一本
どっかで見たぞ!  そう、昔の写真で見たことあるぞ 

この川には水は流れていません。
東に進むと(上流は) 野田の堤防になります。
堤防に沿い、下流を目指します。






























モニュメント③

中央幹線水路に合流
その前に、堤防に地蔵がありました。
 ここから疎水に入ります。


いろんなオブジェ③ 噴水
雲の間に着陸態勢の飛行機 日中は確認できません。
上流は 左側が「中央幹線水路」、右側がこのページのトップ
ここにも 門・水門でしょう。 

いろんなオブジェ② 「弥生の人々」

ここからは 阪神高速を横断します。

寸賀尻橋
日時計 いろんなオブジェ 
上流 阪神高速空港線

水門 右が中央幹線水路
中央が新豊島川
左が旧猪名川跡
この後、旧猪名川となり、神崎川にそそぐ

寸賀尻樋門 案内板はありませんが 公園の名前で
ここで 旧猪名川・新豊島川 に合流します。
それより下流が旧猪名川 地図を拡大してて見てください。
水道管橋

「くらはし」です。
水道管の後ろに見えるのが六甲山 
尼崎側で見つけました。
「むくのき」
戸の内の人が「椋の木を」
椋橋のいわれ  郷土史へのいざなぎ

「戸の内は昔から昭和20年代ごろまでは、「くらはし」「椋橋」とよばれていました。
この「椋橋」は
椋橋総社 (飛鳥時代  庄本の神社)
椋橋荘総氏寺治田寺 (奈良時代 県指定重要文化財 阿弥陀仏坐像)
椋橋城 (平安時代 多田源氏四十八砦の一つ  地田寺西側にあったとする説もある)
椋橋荘 (鎌倉時代 承久の乱 椋橋荘の領有をめぐり、朝廷と鎌倉幕府の戦い)
等の名前の元となった由緒ある「椋橋」です。
昭和20年代ごろまでは、この川が猪名川の本流でこの付近には「椋の木」があちこちに自生していました。
「椋橋」は椋(むきの木)の橋と書きますが、猪名川(つけかえ)改修により伐採されたり「椋の木」のねがったいました。
郷土史へのいざないと、阪神・淡路大震災復興まちづくりを記念して植樹。

平成22(2010)年3月
戸ノ内町北地区まちづくり協議会」

豊中側には 金毘羅大権現常夜灯・戸ノ内との渡し跡



さらに下流
神崎川に合流です。上流
左側に水門が

 下流 六甲山が
写真を撮っている、この橋が 「モスリン橋」
そして、「モスリン橋交番」


中央幹線水路  これより上流は 

---------------------------------------
追加 2014/07/12  豊中の川・橋 一覧





0 件のコメント: