2011年11月30日水曜日

見つかった道標 上新田   3基目

下記の道標その後

      「墓地から移築された道標」平成31年3月1日 上新田自治会

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2009年3月25日発見
この状態で見つけなした。2年前になります。


この墓地は参拝人が多く、六地蔵にも花が飾ってあります。
道標は墓地の入り口にある六地蔵の後ろにあります。

 

これは、道標ではないかと思いました。
かわいい道標、下部欠損したは、セメントで固められていました。
正面(西面) 「南」 その下の文字は砂をかぶっていまして、
砂がかぶっているのはあとでわかったことです。
上の文字一字だけでした。 

 

南面 「左」
 

北面 「為」
最初に見たのは左側の写真です。
東側の「右」はこのときは見ていません。
道標の足下の白い物が被っていた砂です。

砂をかぶっていましたのでこれは違うかな!
単純にこの3文字「為」・「南」・「右」で判断することが難しい。
道標で一文字 「為」・「南」・「右」 判断が 
「右」は道標で使いますが、方向としての 「南」では見たことが有りません。 
ので、これは違うのではないか!という思い、
わからないこともあり、また、道標を移動、下部をいじったり変更などは行いませんので、
このままにして、「また来よう!」と思い、墓地を出ました。
しばらく行って、「待てよ、待てよ!、 今度いつ来れる!」「・・・・」
「いつ来るか!わからない!・・・それならば やってしまおう」
墓地に戻り、下部の部分をさわると、砂でした。
その結果現れたので、左側の写真であります。

それまで東面は見ていません。砂をどけて見ると、
「右 くま」 「わ・わ・わ」 道標ではないか!

そこで、東側の「右 くま」という文字です。「熊野田」が出ました。
勝尾寺街道ではこれも初めてです。
私が長年探し求めていたものです。豊中九中で最初の上新田の道標と出会い、
 ひょっとすると、この村であれば残っているのでは???? との思いがありました。
苦節あれから 10年が経ちました。 やはり残っていました。
「やったー!」です。大発見になりました。

「3基目」
 さらにさらに この道標の表記から 「為万人講」の方が立てられたものです。
同じ講の立てた道標が箕面市に2基存在します。  これで3基目

さらに続きがあります。
同じ講の人が立てた道標を吹田で見つけました。 その紹介は下記
「またもや発見  ここよ!ここよ!と呼んでいる。」   2011年8月17日水曜日
  「為万人講」が立てた道標がこれで 4基目になります。
「万人講 勝尾寺 西国街道 上新田 江坂」    2011年12月15日木曜日

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また 見つけました。 大発見 豊中市上新田   2009年3月26日木曜日

   案内板の設置 
案内板 Ⅲ  西宮     2011年1月30日日曜日
案内板 Ⅱ  色々     2011年1月27日木曜日
案内板色々          2011年1月13日木曜日


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